
じいちゃんは何度だって根気強く俺を叱ってくれた。何度も何度も逃げた俺を何度も何度も引きずり戻して、明らかにちょっとアレ、殴りすぎだったけど、、俺を見限ったりしなかった…
「誰にでも何かの才能がある」その才能を発揮させるには、自己評価、自己効力感(エフィカシー)が大切だということを、じいちゃん(桑島慈悟郎)は教えようとしているのだと思います。
俺は 俺が一番自分のこと好きじゃない
ちゃんとやらなきゃって いつも思うのに
怯えるし 逃げるし 泣きますし
変わりたい ちゃんとした人間になりたい

自己効力感(エフィカシー)とは、夢を達成するうえでの自己の能力に対する自己評価という意味です。
自分自身で「僕は夢が達成できる」と強く確信している場合は、「高いエフィカシー」ということができ、「夢なんてきっと達成できないよ」と思っている場合は、「低いエフィカシー」と認識します。
そもそも善逸は、鬼殺隊(一般よりもはるかに強い人)であるにもかかわらず、自分に対してとてもネガティブな自己評価・自己効力感を持っています。

善逸はなぜこのような性格になってしまったのでしょうか?認知科学では、性格や人格はその人それぞれの「対人戦略である」と考えられているそうです。
作中に描かれている善逸のストーリーを読めば、「そりゃあそんな性格になるわ」というエピソードだらけです。
惚れた女性に別の男とかけおちするためのお金を貢がされて借金まみれになったり、
兄弟子に、「消えろよ 朝から晩までビービー泣いて恥ずかしくねぇのかよ」
「先生がお前に 稽古をつけてる時間は完全に無駄だ!!」
「目障りなんだよ 消えろ!!」などの罵声も浴びせらています。
罵声を浴びせるような人は、昨日までの記憶でものを言っています。未来の自分にとっては、一切関係ないのです。

良くない時の善逸のように、失敗体験を頭のなかでぐるぐるさせるのは、「頭のなかでゴミを散らかしているようなもの」です。
エフィカシーの低い人には「できる道筋」が見えず、
エフィカシーの高い人には「できない理由」が見えない
というほど、
自己評価や自己効力感(エフィカシー)は、自身の能力に影響を与えるそうです。
もしもうまくいかなかったときは、「自分らしくない」「次は必ずできる」うまくいったときには、「自分らしい」「当然です!!」でいいと思います。
お釈迦さまの言葉で「自帰依自灯明」というものがあります。それは、「今ここにいる自分を拠り所とし、自己評価と自己効力感(エフィカシー)を自分で決める」ということだと思います。

じいちゃん
「刀はな 叩いて叩いて叩き上げて、不純物や余分なものを飛ばし、鋼の純度を高め 強靭な刀を造るんだ
(中略)
善逸 極めろ、泣いていい、逃げていい、
ただ 諦めるな
信じるんだ、地獄のような鍛錬に耐えた日々を
お前は必ず報われる 極限まで叩き上げ
誰よりも強靭な 刃になれ!!」

我妻善逸に学ぶ「自己効力感(エフィカシー)の大切さ」|鈴木一弘 苫米地式コーチング認定コーチによる研究紹介|note
じいちゃんは何度だって根気強く俺を叱ってくれた。何度も何度も逃げた俺を何度も何度も引きずり戻して、明らかにちょっとアレ、殴りすぎだったけど、、俺を見限ったりしなかった… 「誰にでも何かの才能がある」その才能を発揮させるには、自己評価、自己効力感(エフィカシー)が大切だということを、じいちゃん(桑島慈悟郎)は教えようと...
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