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鬼滅の刃 5巻:炭治郎と累くんのエピソード 「恐怖洗脳の特徴と回避術」

マンガ・アニメ

人は恐怖を植えつけられると、他人に支配されやすい状態になってしまうものです。つまり恐怖は人を支配するための強力なツールということにもなります。

累「君の妹を 僕に頂戴 大人しく渡せば 命だけは助けてあげる」

炭治郎「…何を言ってるのかわからない」

累「君の妹には 僕の妹になってもらう 今日から」

炭治郎「そんなことを 承知するはずないだろう それに禰豆子は物じゃない!! 自分の思いも意志もあるんだ お前の妹になんて なりはしない」

累「大丈夫だよ 心配いらない "絆"を繋ぐから 僕の方が強いんだ 恐怖の絆だよ 逆らうとどうなるか ちゃんと教える」

炭治郎「ふざけるのも大概にしろ!! 恐怖でがんじがらめに縛りつけることを 家族の"絆"とは言わない その根本的な心得違いを正さなければ お前の欲しいものは手に入らないぞ!!」
母蜘蛛 | MGPN
上記の会話の前に累くんは炭治郎に対して、戦いで自分の強さを見せつけていました。

恐怖洗脳の回避術は「あたりまえの思考」

累くんは会話で恐怖による洗脳をおこなおうとしましたが、炭治郎は恐怖洗脳に対するテクニックである「あたりまえの思考」で、累くんによる恐怖洗脳を回避しました。

人は恐怖を認識すると、思考停止状態になりがちです。相手からすると、そこに付け入るスキがあるのです。

しかし炭治郎のように、おかしいと思うことを「あたりまえにおかしい」と考えることによって、恐怖からの洗脳を回避することができるのです。
『 累 』 | 仔飴

人は恐怖で支配されると、生存確率を上げるために、その相手に対して反抗せず、協力や信頼で対応するそうです。

この心理的な反応をストックホルム症候群といいます。

累くんの恐怖洗脳は、家族にされていた鬼の話から察するに、死の恐怖を扱うことに長けていたのです。

人間の死の恐怖の正体は、自己喪失感

自己喪失感とは自分の存在そのもの・存在価値がこの世から無くなるという虚しい感覚で構成されているそうです。

しかし、認知科学や機能脳科学で自我や自己というものは、自分以外の関係性で成り立っているものと考えられていますから、自我が完全消滅することはありえないということができます。
朝顔と鬼灯 | るち
例として、自分という存在をあらわすには、「何県何市に住んでる〇〇」とか、「誰々の息子の〇〇」「趣味がサーフィンの〇〇」など、自分以外の関係性で表すほかなさそうです。

僕は〇〇教とかを信仰しているわけではありませんが、お釈迦様やイエス様の言葉は好きです。

「全ての存在は、生じることも滅することもないよ。だから心配することもないんだよ。」というお釈迦さまの考え方もあります。

「恐怖に打ち勝つ思考のプロセス」

①恐怖を最大までイメージする
②冷静に恐怖を分析してみる


①、②をしてみると、大抵の恐怖は「何とかなる」ことがわかるはずです。


恐怖だけではないかもしれませんが、問題に打ち勝つには、その問題について感情的にならずに、しっかりと考えることが重要なのかもしれません。
猫の日だったので | 瀧賀ハナ

ここまでで累くんを「極悪鬼」のように書いてきました(実際そうかもしれません)が…このエピソードの結末は、本当の家族の”絆”や鬼という存在の虚しさを痛感するような、切ない結末を迎えるのです。

以下、助太刀に入った冨岡義勇によって倒され、消えゆく前の累くんの回想シーン

累「体が弱かった 生まれつきだ 走ったことがなかった 歩くのでさえも 苦しかった 無惨様が現れるまでは」

鬼舞辻無惨「可哀想に 私が救ってあげよう」

累「両親は喜ばなかった 強い体を手に入れた俺が 日の光に当たれず 人を喰わねばならないから」

御両親は累くんを殺そうとしますが、反対に累くんに殺されてしまいます。

累「何か言ってる まだ生きてるのか…」

母「丈夫な体に産んで あげられなくて ごめんね……」

その言葉を最後に母は事切れた 死んだ

父「大丈夫だ累 一緒に死んでやるから」

殺されそうになった怒りで 理解できなかった言葉だったが 父は 俺が人を殺した 罪を共に背負って 死のうとしてくれていたのだと その瞬間唐突に理解した

本物の絆を 俺はあの夜 俺自身の手で 切ってしまった

今回の参考著書↓

僕は子供の頃、走れなかったり、歩くのが苦しかったわけではないので、累くんの気持ちを理解することはできないのかもしれないけど、

生きるということは、旅をしたりドライブをしているのと同じであると思うので、生きること そのこと自体を
もう少し楽しめれば、この様にはならなかったのかな
と思ったのでした。

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