
おそらく伊黒さんは、人がどんな時に何かを信じ、どのように信じる気持ちを利用されるのかを理解しているはずです。
伊黒さんおめでとうございます!#伊黒小芭内誕生祭2020 pic.twitter.com/DzBcsfd4l1
— やなぎ🐟️ (@yanagi_95_) September 14, 2020
人は、「幸せになりたい」「救われたい」と思った時、何か(誰か)を信じる傾向があるようです。
何かを信じるということは、その何かに自分が影響を受けたり、左右されるという意味でもあり、「生殺与奪の権をゆだねる」ということにもなりかねません。
自分を幸せにすることができるのは、自分ではない何か(誰か)ではなく自分自身であり、幸せは人から与えてもらうものでなく、自分が掴みにいくものだということです。
「君に触れたい」 ※おばみつ pic.twitter.com/HTLnIvZlRS
— やなぎ🐟️ (@yanagi_95_) July 16, 2020
幸せというものは、確実な条件や、しっかりとした定義などなく、自分が幸せだと思えばそれが幸せなのです。
究極的には、自分が本当にやりたいことをやっていれば、過去の出来事などは関係なく、人は「幸せだ」と感じるのだと思います。
やりたいことを高いポテンシャルでやっていくには、なによりも自己評価がものを言うはずです。
勝ち残れ pic.twitter.com/2fV4outjDQ
— も な (@_pon_ko_tsu) November 11, 2019
ここで言う自己評価(エフィカシー)とは、「やりたいことを達成する自分の能力に対しての自己評価」です。
これを高めるにはまず、何かや誰かを盲信的に信じるということではなく、「自分自身を信じる」ということが重要であるのは言うまでもありません。
それらを理解したうえで、自分が何を信じるかは自分次第ということかと思います。
もしかしたら僕が考えすぎで、伊黒さんは「鬼=嫌い 信じない」「甘露寺蜜璃=大好き 信じる」という、単純な思考なのかもしれませんが。
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